オーストリアでバーに行く。
昨日の夜、workerのみんなでバーに行こう、という話になりバーに行ってきた。
紹介してなかったのでメンバーを紹介しよう。
ドイツから来たフロリア、ユリウス。
フランスから来たロイとフィオナ。
イタリアから来たフェルナンド。
そしてここで働いてる人。名前忘れちゃった。
年齢は20~25歳のメンバーたち。
みんなでタクシーに乗って街に移動することに。
現在お金がやばい僕は死にそう。20ユーロしか持ってない。
なんとか負担は少なくしてやるよ。とフロリア、ユリウスが協力してくれた。
タクシーは二台。僕はフロリアとユリウスと一緒に乗り込む。
フロリアが前の席、僕とユリウスが後ろ。
その中で、ユリウスといくらか話をした。
農業なんで先行してるのか、なんで英語が喋れるようになったのか、休学するのは日本では普通なのかとか。
ヨーロッパにきて三ヶ月。今では日常会話で詰まることのないぐらいには成長した。
三ヶ月前はこうやって会話ができるなんて想像もつかなかったのに。
ユリウスは、生態学を専攻していたそうな。大学を卒業したので、就職前にちょっとやりたいこと探すって感じで、workawayに参加したそうな。もともとは社会の先生になりたかったけど、途中で専攻を変えたそうな。そんなことできるんだなー。
それと小さいころにアメリカンスクールに通ってたから、英語はかなり喋れるようになったと。田舎は知らんけど、都市にいるドイツの人たちは英語喋れるで。とのこと。
そして村上春樹のノルウェーの森をおすすめされた。ので、今日はそれ読んで過ごしてた。
話を戻そう。
タクシー代は3人で15ユーロ。ユリウスに僕の5ユーロ分を出してもらった。タクシー代はビールおごったらそれでいいよ。と言ってくれた。
バーの中身はこんな感じ。
このサッカーのボードゲーム的なやつをやったり、トランプをビールを飲みながら
プレーした。
バーってこんな感じなんだーと思った。
想像してたより普通。もっと薄暗くて、「マスター、いつもの。」とかいってやるようなとこだと思ってた。
2時間くらいここに滞在して、場所を変えようということで移動。
2軒目は、こんなとこ。
ここはかなりうるさかった。
耳元で大声で喋らないといけないくらいの爆音の音楽が流れる。
ここでは、僕とフェルナンドはビールを頼まず、みんなが飲むのを待ってた。
ドイツのひとが酒豪だということは聞いてたけど、本当に彼らはよく飲む。
何話してるかはうるさすぎて聞こえなかったけど、とりあえずその場の雰囲気を楽しむ。
時刻は午前1時を過ぎた頃だろうか。僕はめちゃくちゃ眠かった。その日4時に起きてたからだ。
なんやかんやでまた移動。はしごするってこういうことなんだなーって思いながらついてく。
3軒目、写真撮るの忘れたけど、そこは人が僕ら以外に5名くらいと少ないオシャレなとこだった。しかし音楽は爆音。
彼らはまたここでもビールを飲む。
もしお金が十分にあるなら、僕も一緒に加わりたかったが。
ここでも何も頼まなかった。そして眠気がピークに達したので、爆音の音楽を子守唄に、壁に頭を預けて仮眠をとった。
時刻は2:40。全員が飲み終わったのでお店を出ることに。
外は若干、霧がかかっていた。ダウンジャケットとネックウォーマーを着ていたが少し肌寒い。
taxiが停まっている通りに向かい、そこでタクシーに乗り込み帰路につく。
そんな一日。
三線のカラクイ、折れる。
今現在、オーストリアのwelsというとこでworkawayを使って、小さな農園で活動している。今回はWWOOFじゃないけどほぼ同じ感じ。
日程としては、7時にホストさんと一緒にみんなで朝ごはんを食べ、8時から13時までの5時間作業して終わり。昼ごはんがなんやかんや3時くらいまで延びるのだけど、それ以降は自由時間。
基本は三線の練習するか、本を富むか、他のwokerとボードゲームをしたり。
今日も同じように、三線をケースから取り出して練習しようとすると
なんということでしょう。
一番上、女弦のカラクイが折れているではありませんか。
めっちゃ大切に扱ってきたひぃおばあの形見なのに。
なんか身内に悪いこと起こったんかなとか不安になりますよそりゃ。
幸いなことに予備のカラクイ、弦は持っていたのでyoutubeで直し方を検索。
何かと時間がかかり、1時間ほど格闘。
弦が変わると音もやっぱ変わるもんですね。
前よりも甲高い音が出るようになった。
ちょっとうるさい。
パリって空港1つじゃなかった
10/12(金)にフランスでのWWOOFが終わった。
金曜日の夕方、ホストさんとその仲間たちに別れを告げて、そこで出会ったパリ近くに住むwwooferの家で宿泊。土曜日はプリケットの家で、デンマークで出会った彼と3度目の再開。夜のパリの街を散歩したり。
そして日曜の朝、ついにオーストリアへ旅立つ時が来た。
朝11時にプリケットに別れを告げ、近くのメトロへ向かう。
券売機で切符を買い、階段を下る。電車が来るまで5分ほど時間があったので、今日のフライト情報を確認する。
ん?
あれ、これってCDG空港じゃなくね・・・
心臓の鼓動が速くなる。バクバクと音を立てているのが分かる。
BVA空港ってどこだよ。
検索をかけるとここから2時間はかかる。
フライトは15:30。
まじかよ。
そうこうしている間に列車が来る。とりあえず方角は間違っていないことを確かめ、黒い大きなバックパック、紺色のケースに入れた三線、カメラの入ったバックとともに乗り込む。
改めて確認すると、列車の乗り継ぎを一回も間違えなければ、フライトの2時間前には着ける。ただ、12:10に出るバスに乗れなければ、かなり怪しい。フライトの1時間前。。。
とりあえず2回ある乗り継ぎに集中する。
googleマップに頼りながら一つ目をクリア。
RERのA という列車に乗車。時刻は11:46。
距離的に間に合うのか??
2駅乗車してメトロに乗り換えるために降車。
M①ってどこだ。
案内表示に従って走る。かばんが重いがそんなことはどうでもいい。
乗り換え時間は2分。
案内表示に従っているはずなのに一向につかない。1分は過ぎたろこれ。
そして目の前に改札の登場。
チケットを通すがバーが動かない。
そうですよねー、チケット違いますもんねー。
何これ構っている暇はない。もうすでに時間は迫っている。
改札機に両手をかけ、抱え込み飛びの要領でバーを飛び越える。
フランスの改札ではたまにこの光景を見かける。
チケットを通してもバーが開かないことがあり、そういう場合は飛び越えたり他の人の後ろについていったり。今はなりふり構っている暇はない。
躊躇することはなかった。
しかし未だにプラットフォームは見つからない。もうすでに発射してしまった頃だ。
「うわーまじか。空港間に合うか?」
とりあえず再び案内表示に従い歩く。1分ほどしてようやくプラットフォームが見つかる。電車の時間表示をみると、2分後に次の列車が来るらしい。
と、ここでノルウェーで出会った友人のトロンドからもらったペットボトルが手元にないことに気づく。多分一番最初の駅で忘れた。
3ヶ月近く一緒に旅をしてきたペットボトル。
ただのペットボトルだったけれど、たくさんの思い出が詰まっていた。
ごめん、トロンド。あんたのペットボトルのことは絶対忘れない。本当に使いやすく、丈夫で、すごくありがたかった。日本に帰っても使おうと思ってたのに、残念だ。
そうこうしてる間に黄色い列車に乗り込む。
2分で乗り換え地につく。時刻は12:04。バス停までは400m。
ワンちゃんある。
グーグルマップを頼りにバス停へ走る。
くねくねと蛇行する道を走り終えた先に、小さなバスターミナルが見える。そこには超行列の人。しかもチケット買わなきゃいけない。時刻は12:08。
なんとか行けそうだ。バス待ちの列の前にチケットの列に並ぶ。前には4人。
3人、2人、と減っていくがひとつ前の人が販売員に何か言い始める。
それとともにバスへの乗り込みが始まる。
やばいばいやばい。
早くしてくれ。これ乗れなかったらマジでやばい。
その人が去ってすぐに、17ユーロを秒速で窓口に払いチケットをゲット。
バス待ちの列に並ぶといなや、列が止まる。
どうやらバスが一杯のようだ。
やっべえ、終わった。
いや、でもギリギリ次のバスでいける。落ち着こう。
三線ケース、ショルダーバッグ、バックパックを地面に下ろし、黒のダウンジャケットを脱ぐ。
1時間後か、と思った矢先、2つ目のバスが登場。
荷物をバスの機体に積み込む。
ここで今さっき買ったチケットをなくしていることに気づく。
なんやかんやでそこのスタッフさんにも協力してもらって20分くらい探した。けど見つからず、僕以外の乗客が全員乗り込んだので、「チケットなくても乗れ」
ということで無事バスに乗車。
バスの中では、空港白に備えて寝た。
空港についてからも色々トラブルがあった。
三線が機内持ち込みできないということで、三線を預け、バックパックを機内持ち込みすることにした。
しかし、バックパックが保安検査で引っ掛かる。
歯磨き粉や筋肉痛を和らげるジェルが100g以上であるため没収
自分で髪を切るようのはさみ2本も没収。
他にも何かあるとか言われたけど、さすがに全部没収されるのはきつかったので、渋々チェックインカウンターに戻り、バックパックを預ける。25ユーロの出費。まあしゃーない。
ここの空港のよかったところは、三線に「FRAGILE」というテープを貼ってくれたことと、バックパックを大きいビニール袋に入れてくれたこと。
安心して預けられた。
入国審査とかあるかなと思ったけど結局なかった。17:30ウィーン国際空港に着く。
とりあえず、一晩明かすことに備え、空港内のスーパーでバナナと、食パン(24枚くらい入って80円という驚異の安さ)、レッドブル、水を買う。4ユーロの出費。
オーストリアの空港は警備員が、ずっと巡回していたので安心して空港白することが出来た。
そんな1日。
WWOOF in Denmark
日本でのWWOOF(大分、岡山、埼玉、千葉)やらヒッチハイクやら、ノルウェーでのバックパック紛失等のハプニングやそこでの暮らし、書きたいことがたくさんあるのは嘘偽りがない。
しかし、溜まりにたまったものを消化するのはとても面倒。そんなわけでデンマークでのWWOOFは何をしているか、最新のものから書こうと思う。
気が向き次第、過去のことは書こうかなと。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今現在、僕はデンマークのとある小さな島で暮らしている。名をば、サムス―島といいけり。人口およそ5600人、南北に20㎞、東西に6㎞そんな感じの島だ。海もかなり美しい。さらさらとした白い砂浜、自身の足元が確認できるほど透明感にあふれた青く澄んだ海、そして目の前に広がる水平線。北欧にこんな場所があるとは。両親の故郷である宮古島を彷彿とさせる。
一歩家の外に出れば、北欧らしい童話のような世界に足を踏み入れる。そこから少し行けば、広大な金色に輝く麦畑が目の前に広がる。すれ違う人々は、皆、その島の住民ではない僕にでも「god morgen!」と挨拶をしてくれる、温かい島だ。
そんな中で僕は、そこのカフェでwwoofer(ウーファー)として手伝いをしている。
WWOOF(ウーフ)とは、wwooferとはなにか、、、
説明すると長いので、ググれ。
手伝いの内容としては、料理を客に運ぶ、皿を自動洗浄機(北欧はどの家にも備わっているっぽい)で洗いそれを薄手のタオルで拭いて運ぶ、食材を切る、ビール瓶の陳列など。
毎日5時間。11時から5時(昼休み1時間)という感じだ。今日で4日目。週一で休みがあるので、その時この島を一周しようかなと思う。自転車はホストさんが僕らに貸し出してくれる。
僕のほかにウーファーは7人。ドイツ、アメリカ、フランス、インドと人種は様々。
一方、ノルウェーはホストさんと僕含め4人だけ。結構ゆっくり目の英語のため会話がしやすかったのだが、ここは人が多すぎて話についていくのにやっと。
発言することはなかなかできない。ただただ高速で展開される話を横目で聞いている。笑顔でただ頷く。
よく笑顔で頷くことしかできないと聞いていたが、まさにその通り。典型的な日本人。こんなに自分自身を表現することが難しいのか。なぜみんな母国語でない英語をこんな簡単に操れるのだろうか。
ノルウェーで割とやっていけたから、自信はある程度持っていたのに根元から折られた。集団での会話がこんなにきついものなのか、これほどまでに入れないものなのか。
喋ろうものなら、文法がごっちゃごちゃ。最近は疑問文が作れない。
日本からノルウェーへの飛行機の中で知った
May I~?と Would you~?
の二種類があったおかげで少しは救われているけれど。
絶賛英語勉強中。YouTubeでフレーズ聞いたり、ドラゴンボールを英語で見たり。
とりあえず会話の中で拾った英語を調べて意味を理解したり、英文を自分の中にストックすることから始めた。こういう時何っていうんだろう、とブツブツ英語で独り言をつぶやきながら。
楽しいか楽しくないかで言われたら、今はあまり楽しくはない。
ただ、このもみくちゃにされながらレベルアップができると考えるとかなりワクワクしている。
アウェーな環境で暮らしている、そんな毎日。
ヒッチハイク熊本 南阿蘇村~大分 日田市
太喜さんに見送られて、ついに始まった人生初のヒッチハイク。
時刻は8:20。何を書けばいいかはわからないのでとりあえず目的地を書く。
大分方面
スケッチブックにそう書いて「あ~、めっちゃ怖いわ~」とか思いつつ、恥を忍んでスケッチブックを掲げた。
向かいのガソリンスタンドの人の視線が気になるがそんなことはどうだっていいんだ。
5分経った。
さらに3分経った。
すると一人のおばちゃんが声をかけてくれた。
「兄ちゃん、ここ大分行きの車少なくてほとんどが宮崎にいくやつだよ」
「え~っそうなんですか、じゃあ他の場所書いた方がいいですかね、ありがとうございます」
「乗せてあげれんけどごめんねー、頑張ってねー」
そう言って去っていった。
ああそうか、大分行く車少ないんか。僕はGooglemapを開き、地名を調べ始める。
阿蘇方面
これでどうだ。
「兄ちゃん!乗ってくか?」
15分後、コンビニから出てきた車から声がかかった。
初ヒッチハイクはおおよそ20分での乗車となった。
記念すべき一台目ということで全身全霊、全力で感謝を伝えつつ乗り込む。
彼の名前はハルキさん。体格はがっしり筋肉質で、髪はツンツンとしたショートカット、白髪がうっすらとみえるが若々しい印象。
この辺の中学で教師として社会科を担当しており、今回は阿蘇の方に予定があるとのことだった。
初めてのことはやっぱり緊張するのだけど、車内は割とリラックスして会話できた。
「沖縄から来た」と言ったらネタになるので、沖縄県民でよかったと思う。
「僕ヒッチハイク初めてなんですけど、ヒッチハイクの子とかよく乗せるんですか?」
「いやー、兄ちゃんが初めてだよ。」
「うわーありがとうございます。」
とかいう会話を繰り広げる。
話を聞くと、ハルキさんは学生時代に自転車で九州を一周したり、関西まで行ったりだとかしたそうな。
だから自転車で日本一周だとかヒッチハイクしてる人は応援したくなる、と。
いやーありがたい。道中は周りに何もない山道だったので拾ってもらって本当に良かった。
その他教師の裏話であったり、熊本のお話、僕のお話などなど会話は尽きなかった。
そんなこんなで40分ほど乗っただろうか。
目的の道の駅阿蘇に到着した。
「ここなら人も多いし乗せてくれるんじゃない?」
「そうですね、行けると思います。ハルキさんありがとうございます、めっちゃ助かりました!」
固い握手を交わしてハルキさんとお別れ。去り際に「良い旅を!」と声をかけてもらった。
いやーいい人もいるもんだ。
次の目的地の行き先を確認し、ヒッチハイクをする場所を売店に行った人からも様子の見える、駐車場の出口に立つことにした。
スケッチブックには~方面とはいれず、地名だけの方がいいとアドバイスをもらっていたので今回は地名だけを書いた。その地名もハルキさんが教えてくれた場所だ。
小国
そう書いたスケッチブックを掲げる。
数分掲げたところで問題があることに気づく。今日5/6はGWの最終日なのである。
家族連れの車が非常に多い。
僕が乗るスペースがない。
誰か家族連れ以外で来てないのかッ...
子供たちから好奇の目線を頂きつつ、絶望感を抱きながらも表面上は笑顔で次の車を待つ。ドライバーさんの反応はあるから場所は悪くない、そう言い聞かせ粘る。
30分後、
一台の赤い乗用車がクラクションで「プァン」と僕に合図をくれた。
「いいんですか!?ありがとうございます!!」
急いで荷物を積み込み助手席に乗り込む。
この時お世話になったのは、理学療法士のタニグチさん。少しきつめの天然パーマでメガネをかけワインレッドポロシャツを着た細身のお兄さんだ。彼もヒッチハイクをのせるのは初めてだという。
「お店入る前にヒッチハイクしてるの見えて買い物し終わってもまだいたから乗せてあげようかなって思って笑」
「家族連れ多すぎて心折れかけてたんですよ、ありがとうございます!」
感謝も早々に、乗せてくれたからには全力で楽しませようと積極的に自己開示しつつ、目に映るものから話題を引き出していく。
車内にミラーレス一眼を見つけ、
「僕もカメラもってるんですけど、写真とか撮るんですか?」と話題を振ったり、10連休とかあったのかとか聞いたり。
山の上から見える景色を撮ってもいいんじゃない?と言われ、写真を撮ってくださいと言わんばかりにある駐車スペースに車を止めてもらい、数枚一緒に写真を撮る。
その後、「ヒッチハイクとかよくやろうと思ったよね~怖くてやろうとすら思わなかった」などなど僕の現状に関する会話が展開されたりしながら50分くらいで道の駅小国に到着した。
「タニグチさん、写真撮らせてもらったりとかありがとうございました!」
「ヒッチハイク初めて乗せたけど楽しかったよ、こちらこそありがとう笑」
とこれまた固い握手を交わしお別れ。
時刻は11:30。眠気が襲ってきていたので、近くのスーパーで前々から買いたかったペットボトルのカフェオレを買い、一気に飲み干した。
Googleマップをみて、問題に気付く。道の駅小国は最終地点の日田市へ行く道沿いにない。
徒歩1分圏内のファミマもあったが、あるのは逆方面の道沿い。
あ、やべえな
マップで近くのコンビニを探したがそこ以外はない。
3分くらい歩いて日田市方面の道に出る。バス停もなかったが、幸いにもその通り沿いに車がいい感じに止まれそうな場所があったのでそこの10m前にスタンバイ。
時刻は12:10。コンビニの前ではないけど、目の前に信号機があったため、赤信号になれば止まってる最中に考えてくれるだろうなと期待を持ちつつスケッチブックを掲げる。
日田。
信号が青に変わるたびに加速して僕の横を過ぎ去る車。若干見てくれるドライバーさんもいるが、さすがは大通り、車のスピードが異様に速い。
ある記事で30分粘って乗れなかったら場所を変えた方がいい、と読んだなと思いだしながら粘る。
場所やっぱ悪いのかな~と思いながらめげずに掲げる。
30分が過ぎた。
が、車は一台も止まらない。
場所悪いよな~と思うが、この近くにこれ以上のベスポジはない。「13時まで粘ろう。無理だったらとりあえず目の先のうどん屋で飯食おう。」とスケッチブックを掲げ続ける。
10分後、信号に引っ掛かっている蒼いスポーツカーが目に映る。「うわーかっこいいわー、乗せてくれないかなー」とおもった矢先、運転手さんが目を合わせ、人差し指で「向こうで」と合図を出し、止まってくれた。
粘ってよかった。神様は見捨てなかった。
「いいですか!?ありがとうございます!」
荷物を詰め込み助手席に乗り込む。
車高が低く、シートはゆったりとしててとても乗りやすい。もちろんマニュアル車。一度はこんな車を運転したいなと思う。
三台目にお世話になったのはシロツカさん。紺色のハンチング帽をかぶり、青い長袖のシャツからは筋肉質である事がうかがえる。おそらく背は小柄で整備工場で働いている雰囲気を感じさせるお兄さんだった。日田市に買い物に行くからそのついでだそうだ。ヒッチハイクをのせるのは初めてではなく何度か乗せたことがあるよう。
先ほどの2台と同じように会話を展開しようとするが、シロツカさんは割と寡黙な方で会話を展開するのが難しかった。質問に応じて終了、問いかけ一切なしというのが幾分か続く。
おっと、会話が続かないぞ
と少し焦る。会話の糸口を掴めたのはこの蒼いスポーツカーだった。
「やっぱマニュアル車いいですよね、この車乗り心地もいいですしこういうの乗ってみたいと思うんですよね~」
「そう?一応これもともと廃車だったものの部品集めて修理したんだよね」
と微笑しながら彼は言う。
話を聞いていくと、彼の周りのものは自身で修理して使っているものが多く、この車のほかに家の補修だとかそんなのも自分でやっているそうだ。
廃車生き返らせれるんかと確かな技術力を感じ尊敬の念を抱きつつ、沈黙が適度に訪れる車内を僕は気まずさをかんじながらもそれ自身を楽しんだ。
1時間ほど乗って最終目的地の日田駅に着いた。
「いやーありがとうございます!スポーツカー初めて乗ったんですけどめっちゃ快適でした!」
などなど感謝を伝える。
シロツカさんはにこやかに微笑み、手で僕に合図を送り去っていった。帽子を取って去っていく蒼いスポーツカーの後ろ姿に一礼。
初ヒッチハイクで無事目的地までたどり着けたことに、ホッと胸をなでおろす。
ついに来たぞ大分。
明日からどんな一日になるだろうかと思いを馳せつつ、その日は駅近くのホテルでぐっすりと眠りについた。
WWOOF二件目。三線×アコギ
様々な人に見送られ、ついに始まった県外でのwwoof。
今回の目的地は熊本、南阿蘇村。
4/23に沖縄を飛び立った。二日間は高校の親友である、あっつんの家に泊まった。
陸上部時代の友人で、彼とはあんなことやこんなこと、腹を割って話すことが出来る。
久しぶりにあった彼は髪に強めのパーマをあて、シャレオツな丸渕のメガネをかけ、膝丈まであるコートを羽織り、サークルに入り、アコギを弾き始めるという「THE大学生」にしっかりと変身していた。
元気にやっているようで僕はうれしかった。
あとは彼女を作るだけだな、あっつん。成長した君ならできる。I hope so.
あっつんとお別れを告げた4/25のAM10:00、熊本大学の朝食で腹を満たし、ホストさんとの待ち合わせ場所に行くためのバス停へと向かった。
11:00バス停到着。しかし早く着きすぎた。バスが来るまで1時間ほど時間がある。
とりあえず今後のため、バスの待ち時間でスケッチブックとマジックペンを買った。
ヒッチハイクをするためだ。今回は時間的に怪しかったので断念。
バスに揺られること二時間弱、待ち合わせ場所の「高森中央」という名のバス停に到着した。
周りを見渡すと黒い瓦屋根を持った家々と、田んぼが広がる田舎らしい田舎だ。
風景が沖縄と全く違うことに感動を覚えつつ、写真を数枚パシャリ。
着いたら電話をかけて下さい、とのことだったので緊張の面持ちで彼の番号に電話をかける。
「今日からWWOOFをさせていただく平良大次朗と申しますが、、、」
「ああ~もう着いた!?あと10分くらいだから待っててねー」
「はい!よろしくお願いします。」
・・・
フランクな人だな。
10分後、彼は白い軽トラを引き連れて僕の所へやってきた。
名前は太喜(タイキ)さん。
彼は丸顔で身長は僕と同じくらい、174cmはあるだろうか。少しだけポチャっとしており、頭にはマウンテンハット、シャレオツな黒縁丸メガネをかけ、ダンディーなあごひげを蓄え、首に真っ白なタオルを巻いていた。Tシャツ短パンの下にアンダーシャツ、タイツを着てクロックスで登場。
軽く言葉を交わし、軽トラの荷台にバックパックと三線を積み、彼の自宅へとむかう。
車内では、なんでここに来たかということや、彼の世界旅行の話、僕が沖縄からほぼ出たことないことなどについて話した。
電話の印象通りフランクな人だった。
車に揺られ数分、着いたところは周りが緑に囲まれた二階建てのログハウス。彼は友人の別荘を借りて住んでいるとのこと。
僕は二階を使わせてもらうことになった。
かなり広々としており、たくさんの本、トイレ、さらには脱衣所なしの風呂場まである。
こんなところで暮らせるのか、、、僕は心底嬉しかった。
「今日は仕事しないわ!温泉行こ!」
会社員が使えない『好きな時に休日を作れる券』を行使して僕らは温泉へ向かった。
温泉。
沖縄の僕からしたら馴染みがない温泉。
そう
O☆N☆SE☆N
僕にとっては中学の修学旅行以来の二回目の温泉である。
時刻はなんと15時。何と早い時間であろう。そんな時間帯にお風呂に入れるなんて僕は幸せだなぁと思いながら入浴。代金は太喜さんが払ってくれた。なんていい人なんだ!
家のバスタブに使ったのはおそらく小学6年が最後という僕からすると、湯の温度が熱すぎた。
太喜さんもあまり長くいられない、とのことで20分程度で湯から上がる。
その後は全身の脱力感に襲われたがそんなもんなんだろう、温泉は。
温泉の後は家に戻り太喜さんの手作りの料理を頂いた。
残念ながら画像がないが、もやしを卵で包んだふわとろオムライス風(マヨネーズとソースがけ)、きゅうりとささみのピリ辛サラダ、ごろっと鶏肉のソテーの三品。
これがまたウマいのである。
彼と話す中で 三線でどんなの弾けるのという話になり、僕は三線を取り出し弾き始めた。
涙そうそうや島人の宝、安里屋ユンタ、安波節、千と千尋のいつも何度でも。の5曲を披露。
一曲弾くたびに
「沖縄の音だわ~、いいねえ~」
と彼は感嘆する。
すると彼がおもむろに立て掛けてあったギターに手を伸ばす。
「ギター昔やってたけど最近触ってなかったな」とばかりにアコギで涙そうそうをコードを思い出しながら弾き始める。
僕がその音に調弦を合わせれば、三線とアコギのセッションの始まりだ。
彼はギターの弦によって傷を負わされた小指を抱えながら、演奏を続けた。
10日後、毎年恒例で畑DEバーベキューと称して、太喜さんの友人を集めてキャンプをするらしい。
その時に、二人で涙そうそう、島人の宝を発表しようという話になった。
なんやかんやで月日は流れた。
ここでの暮らしは非常に良かった。最高だ。朝は5時前に起きてたいきさんが朝食を作るまでの間、本を読んだり、三線を弾いたり、二度寝しながら待つ。
朝食は目玉焼きに、3本の大きなソーセージ、 キャベツやトマトたくさんの野菜サラダ、そして温かい具だくさんの味噌汁と茶碗いっぱいのご飯。納豆も。
ソーセージにマヨネーズをかけて頂くそのご飯からここの毎日が始まった。
彼の自宅から少し離れたところにある畑にはビニールハウスが3棟。
主な作業はミニトマトを植えるまでの下準備。
詳しくは画像を見て欲しい。
一見簡単そうに見える作業だが、雑草取りや畝づくり、枯草敷き、マルチ張り、灌水チューブに穴がないか点検、支柱差し、どれも結構な時間を要した。
今年はチューブがネズミにかじられていたりとトラブルが多かったのも一つの要因だという。
ビニールハウス内の温度は昼前になると40℃近くまで上昇する。
その中での作業は危険ということで、時に、朝6時から作業を始め、昼は休憩し、日差しが弱くなったころに作業を再開した。
太喜さんは常に僕のことを気遣い、作業中のこまめな休憩、休憩中にはお菓子をくれたり、何よりほぼ毎日6時間きっかりで終わってくれた。
作業が長くなってしまった際には、次の日を午前中だけで終わりというようにしてくれた。
そのため、たいていの午後は本を読んだり三線を弾いたり。
本はここにいる10日間で8冊読んだ。
バーベキュー当日、陽が落ちるにつれ、たいきさんの友達とその子供達が続々とやってきた。
とてもとても可愛い子供達だった。僕のカメラを貸してみると小さな写真家として活動してくれた。しかし彼女の撮った写真(フィルム)はトラブルにより消えてしまったが。
陽が落ちて、あたりが暗くなったころ肉を囲みながらの演奏会が始まった。
その時、ほぼ全員がインスタライブを開始した。これは間違えられないなと僕にプレッシャーがのしかかる。1曲目の涙そうそう、2曲目の島人の宝。
なんやかんやミスは多かったが、 皆さんいーやさーさと合いの手入れたり盛り上げてくれた。
そのバーベキューは0時頃まで続いた。
次の日の朝は4時起き。前日に届いた合計2088個の苗をビニールハウスの前に運び出し、5時30頃、 苗植えが始まった。午前6時、とても朝早いのにたくさんの人が応援に来てくれた。
全てたいきさんの知り合いだそうだ。 合計10人以上はいたと思う。
いつもは僕と太喜さん、たまに太喜さんのお母さんの2人3人での作業だったので、10人以上での作業はかなり早かった。 2088個の苗がたった2時間弱で植え終わった。
こうやって助けてくれる人がいるって素晴らしいなあとしみじみと思った。
苗を植え終わった後、僕らは写真撮影を。
それらが終わると彼らはそれぞれの一日へと帰って行った。
僕と太喜さんは、2人でバーベキューで余ったものであったり使ったものの後片付け。
午前10時あたりには作業を終え、僕らも家へと戻った。
最後の晩餐、
太喜さんは
「昨日のメンバーは俺の宝なんよね。地元の友達がやっぱ最高よな」
と、一人ひとりめっちゃ褒めていた。
小中高ずっと一緒のやつもいて、今後も長く付き合っていくであろう友人たち、だそうだ。
大人になってからでもこうやって集まれる仲間がいるのはいいなと、僕は思う。
とてもうらやましい。
家族ぐるみで付き合いがあるというのもまた。
太喜さんは
「大ちゃんの行動力あればどんなとこでもやっていけるよ」
とも言った。
僕は
「行動力ってよりは、ただ行ってみたいって思って来ただけですけどね笑」
と返す。好奇心に従って動いてるだけなのだから。
「みんな行きたいと思ってもなかなか行けないもんだよ」
「そうですかね」
その後は、太喜さんが今後行きたいとこだとかヒッチハイクのことについて話したり。
・・・・
良い10日間だったなと思う。
翌朝8時、準備を終えた僕は太喜さんとともに軽トラに乗り込む。
次のWWOOF地、大分へと向かうヒッチハイクのスタート地点におろしてもらった。
スケッチブックを掲げた姿を太喜さんに写真を撮られ、
彼は「頑張れよ、楽しんでな」と笑顔で去っていった。
太喜さん、ありがとうございました。
あなたと出会えたことを心より感謝します。
スケッチブックを片手に僕のヒッチハイクが始まった。